親田の芍薬姫の墓
親田の芍薬姫の墓
むかし、下條さまという殿さまが吉岡城にいたころのお話です。
「織田信長の兵隊が攻めて来て、吉岡城が攻めおとされる」
という噂がひろがりました。このとき、殿さまの奥方さまと
お姫さまは、親田に住んでいた小笠原但馬という家来の家に
隠れていました。
それからいく日かたったころ
「吉岡城が、織田信長の兵隊に攻め取られた」
という悲しい知らせが但馬のところにとどきました。
これを聞いた奥方さまとお姫さまは、泣いて泣いて
たいそう悲しみました。そして、織田信長の兵隊たちに
つかまるのを恐れて、但馬のところから
美濃の国へ逃げて行くことになりました。
そのときお姫さまは、小笠原但馬に
「お世話になりましたお礼に、この鏡を差し上げます」
と言って、お姫さまが大切に持っていた、下條さまの家紋入りの
立派な鏡を渡しました。そして奥方さまとお姫さまは、
おともの人たちとともに、美濃の国へと落ちのびて行きました。
それからまもなくして
「織田信長の兵隊が、親田の方へも攻め込んで来る」
という噂がひろまりました。それを聞いた小笠原但馬は、
奥方さまとお姫さまの行方をかくすために、
お姫さまからもらった鏡を近くの林の中に埋めました。
そして、大切な鏡を忘れないようにと、
そこへ一株の芍薬を植えて守りつづけました。
人びとはそこを、「芍薬姫の墓」と呼んで、
今も大切に伝えています。