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仁王関の大蛇ヶ淵の主

仁王関の大蛇ヶ淵の主

 むかし仁王関に、いつもきれいな水をいっぱいに溜めている

大きな池がありました。人びとはその池の水で洗濯をしたり、

田んぼや畑を耕して暮らしていました。

 「この池の主は大きな蛇で、池を守っておってくれるんな」

人びとはそう言って池のまわりの草を刈ったり、

水が汚れないように手入れをして暮らしていましたが、

その蛇を見たことのある人はいませんでした。

 ところがある年のことです。大きな地震があり、

池はくずれ水がなくなってしまいました。

 そして幾日か過ぎた日のことです。水にこまったお百姓さんが、

池のようすを見ようと登って見ると、崩れた池の土手に、

見たこともない女の子が一人、淋しそうに立っていました。

 びっくりしたお百姓さんは不思議に思って

 「こんなところで何をしとるの?」

と聞きました。すると娘は小さな声で

 

 「深見まで行きたいのですが、道に迷ってしまいました。

 どうか私を、深見までつれて行ってください」

と言いました。かわいそうに思ったお百姓さんは、娘をつれて

深見まで行くことにしました。

 遠い道のりを長いこと歩いて、やっと深見につきました。

そして大きな池の前まで来たときです。娘は

 「ここです」

とお百姓さんに言うと、青い顔で

 「私のほんとうの姿を見てください」

と言いました。

仁王関の大蛇ヶ淵の主

 そして、たちまち大きな蛇になって、

するすると池の底へともぐって行き、その姿は見えなくなりました。

 お百姓さんは、仁王関の池の主をはじめて見たのでした。

急いで家に帰り、仁王関の人たちにこの話をすると、

みんなは驚いて

 「そりゃあ、池が壊れて住むところがなくなったもんで、

 池の主が深見の池へ渡って行ったんだに」

と語り合いました。そして、池のあったところを「大蛇ヶ淵」と

呼ぶようになり、今も伝えられています。

仁王関の大蛇ヶ淵の主

「仁王関の大蛇ヶ淵の主」は、江戸時代の寛文三年(1663年)七月、福井県の三方五湖周辺を震源に発生した大地震で大事な湖が崩れてなくなってしまい、反対に大きな深見の池が出来たことから、この地方を襲った大侵害による人びとの苦難を、恩寵に変え伝えられた民話です。

仁王関の大蛇ヶ淵の主